日本ラグビーはラグビーワールドカップが始まって以来、なかなか勝ち星を挙げられない時代が長く続きました。(20年間で1勝)
2015年大会で3勝を挙げ、そして2019年の今大会で4勝を挙げ一気に強豪国が無視できないティア2国となりました。
残念ながらラグビーは番狂わせが少ないスポーツです。純粋に日本ラグビーが弱かったと認めざるをえません。
それまでの、日本はなぜ勝ちに恵まれなかったのかを少し掘り下げていきたいと思います。
目次
競技水準の低さ
日本ラグビーは、1970年代と1980年代では強豪国と競り合う試合を何度も演出していました。
ところが1990年以降、一気に強豪国との差が開いてしまいました。
その理由の大きな要因は、ラグビーのプロ化です。
ラグビーはアマチュアリズムを掲げていた稀有なスポーツですが、ワールドカップ開催やプロ解禁になり強豪国の競技水準は一気に高まりました。
それに比べ、日本ラグビーの中心は「企業スポーツ」「大学ラグビー」人気によるものでしたので、プロ化が遅れていました。
2003年にようやくトップリーグが出来たのですが、これも実業団チームですので完全プロ化まではこぎつけていません。
トップダウンのシステム・枠組みがラグビー界においては完全なものではないといえるでしょう。
強豪国の急激な競技水準の向上
ラグビーはプロ解禁となり日本以外の国では急激に競技水準が向上しました。
国間での競争により相乗効果で更に水準は向上し続けています。
日本はそれに取り残された格好になり、世界を知る海外からのHCや選手を日本に招集する事によってようやく追いついてきました。
ラグビー自体も、戦略的にも内容的にもここ10数年で大きく変わってきました。
まず競技水準の向上した要因に挙げられるのは戦術とスピードです。
走るタイムといったスピードは、競技を行うのは人ですので数十年かかっても大きな差は出ませんが、全体的な走力は向上していると思います。
それよりもゲームの流れというスピード感は、昔の映像と比較しても格段に変わっています。
ラックからの球出し、パススピード、サポート、キック。
昔と比べボールがよく動き、結果としてスピード感あふれる展開がおおくなりました。
そもそも民族的な問題
これを言い出したら、今の時代ではナンセンスなのかもしれませんが、日本人は採集民族です。
それに比べ、強豪国を見ると狩猟民族が多い。ですので身体能力的に劣っている事も理由として挙げることができます。
短距離100mでアジア人がなかなか勝つことができない事も、上記の理由が多少なりともあるのかもしれません。
ラグビーは、サッカーや野球のように技術面だけではカバーしきれないスポーツです。
無差別級で身体同士がぶつかり合うコンタクトスポーツですので、スピード、フィジカル等で誤魔化しがきかないスポーツなのです。
だからこそ、日本ラグビーで強豪国に勝ち切ることは、そこにいたるまでの苦難があったと垣間見るので、見る人を感動させてくれます。
日本人は模倣教育を受けてきた
日本人は、学校教育は模倣教育です。それが、スポーツにおいても実践されています。
模倣というのは、簡単に言えば真似です。
前例がない事を嫌う人が多いのは、ここからかもしれませんね。
模倣教育というのは、基本を学ぶには非常に効率的な方法ですし、全体を伸ばすには他にない方法でもあります。
しかし、突き抜けた才能やアイデアは生まれにくい方法でもあります。
スポーツにおいても、基礎はしっかりできても更にその上のステージにはなかなか行けないのではないでしょうか。
頭が固くなるからであり、先入観があるからです。
ラグビーにおいても戦略は非常に重要であり、その場においての対応力・臨機応変な判断力が求められます。
そこには、アイデアやゲームのデザイン力も欠かせない要素になります。
結果を求められる時に、教科書通りやったら実現不可能な方法を選択をするか、その場の新しい発想で少しでも可能性を上げるか。
練習のための練習をするのか、試合のための練習をするのかといった点です。
規律を重んじるのと、のびのびプレーする事は必ずしも相反するものではないという事です。
前HCのエディー・ジョーンズは日本人のこういった部分を見抜き、自主性を伸ばした事で前回大会で3勝をもたらしました。