少動力を目指す~スローライフの勧め~

未分類
この記事は約3分で読めます。

昨年大きな反響を呼んだ堀江貴文氏の著書『多動力』。

ここでは

「電話をかけてくる人間とは仕事しない」

大事な会議でスマホをいじる勇気を持て」

資産が人生を駄目にする」

など、常識を覆す内容で極論ではありますが堀江貴文氏の論理性の高さや思想を垣間見る事が出来ます。

一つの会社で勤め続ければ良い、一つの仕事を続けていれば良いという少動力から多動力への薦めとなっています。

しかし、万人が多動力の方が良いという訳ではありません。

自分にあったスタイルがそれぞれにあります。

何事も向き不向きがありますし、仕事に関しても同じ事が言えます。

多動力とは

多動力とは、いくつもの異なることを同時にこなす力という意味です。

しかしながら、全て自分でやると言う事ではなく他人の方が優れたパフォーマンスであれば任せる。アウトソースするという事です。

自分の貴重な時間は自分の能力を発揮できる事に集中するという事です。

多動力について感じることは、時間がいかに貴重であるか、いかに無駄を省き生産性を高め価値を生み出せるかという所につきます。

スキマ時間ですらも無駄にせずに活用する能力も多動力には必要な力です。

多動力とは、効率性と合理性を追求する力の事です。

多動力と少動力は正反対ではない

多動力と少動力の違いについて、根源的な違いは働く事に対しての認識の違いであると感じています。

働く事が楽しい、いろんな遊びや事柄に興味を持ち、それを仕事に(マネタイズ)できる人がまさに多動力な人と言える。

一方で、一つの事柄に没頭し深め続けることが出来る人が少動力な人と言える。例を挙げるなら教授や研究者のような人がそれに当てはまりやすいのではないでしょうか。

働き方改革で多動力がピックアップされていく社会となっている事は否めませんが、多動力のみが求められている訳ではないです。

多動力という言葉が登場して違和感なく副業が良いものとされていますが、日本の風潮としては少動力(専業)が主流であることは間違いありません。

一つの事を続けていく継続力がある人が称賛されるといった風潮が日本にはあります。

メジャーリーグのイチロー選手を始め、一つの事を極めていく事が美学であることは間違いありませんが、極めるに至る事の出来ない人にとってはどうでしょう。

継続力はあるものの才能がない人は、光を浴びることの出来ない現状です。多動力は一つの事にとらわれることなく、自分の可能性を最大限に高めていけるものであるといえます。

どのような個性でも社会で活躍の場があるという事です。

成功に型はありませんので、自分にあうスタイルを探す事に時間を費やす必要性があります。

そして、何よりも多動力か少動力かという点については自己認識でしかないという事です。

あの人は、副業をしているから多動力な人だという事ではなく、本人が副業していたとしても少動力だと言う認識だとそれは少動力。

自分自身の裁量でしか判断できないという事です。つまり明確な線引きが無いとも言えます。

究極の少動力を求める

多くの人はこの究極の少動力を求めています。

お金は欲しいが働きたくないと言う人がまさに該当します。

少動力を求めるとはどの様な事を指すかというと、不労所得がそれであり少動力の極みなのです。

賃貸経営や株、預金利息や印税などによる資産が資産を生み出すインカムゲインを持つ人が世の中では勝組とされる事が多くあると思います。

特に複数でインカムゲインを得る、マルチインカムがアーリーリタイアを推し進めます。

しかし、マルチインカムは能動的に動いた結果でしかたどり着けません。

究極の少動力を求めるためには、そこに至るまでのプロセスとサクセスが必要となります。

一昔前にシステムを作る人、仕組みを作る人が1番儲かると言われたように、そうした人がなりえます。

 

自分独自の働く仕組みや、自分だけの働き方を作り上げることが少動力に最も必要なスキルだと言えます。

コメント