【文学作品】『破戒』島崎藤村

文化
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島崎藤村の『破戒』は差別問題をよく考える事が出来、話の内容や人物の心境が理解するまで、解釈しやすい内容になっている作品ではなかったのではないかと感じます。

解放令から35年後の作品

 私がこの作品を読むに当たって、まず注目したのは、この作品が出版された時代です。

1906年に書かれた作品ですが、この年は日露戦争が終戦した翌年です。解放令が出されたのは1871年、それから35年後の作品と言うことで、まだ「えた」「ひにん」の差別意識が高かった時代であるとおもいます。

そんな中描かれた作品なので、この時代の時代背景を写実的に描いたのではないかと感じる事の出来る作品となっています。

内容(ネタバレ注意)

 部落出身である主人公の瀬川丑松の葛藤が描かれていて、父の自分の身分を隠せと堅く戒められてきたが、同じ部落出身の猪子蓮太郎の死をきっかけに、戒めを破ってしまいます。

こういったずっと守ってきた戒めを破ってしまう程の葛藤の中にあった丑松の心情は、大きな負担になっていたものと思います。

自分の素性を隠して生活することの心身の負担、そういった状況で生き続ける苦悩の日々、自分の悩みを親友など親しいひとにも打ち明けられない孤独感、生まれながらにハンデがあることは仕方ないことがあるかも知れませんが、同じ日本国民で同じ人間でありながら他の人間から差別されるというものに客観視しても大きな憤りを感じる人が多いのではないでしょうか。

視点を変えると

この作品は主人公である丑松の主観で見ている側の目線ですが、見方を変えて、この時代の部落出身者以外の目線で考えた場合、今の時代と当時の明治の時代では大きなギャップがあると思います。

明治ではまだ「穢れが多い」「人に非ず」という解放令以前の身分差別のニュアンスを知っている人がいるので、この時代での部落出身者との壁は大きかったものだと思います。

明治の社会では、こういった身分の整理が行われたが、農村の封建制を残して多くの人々の生活を犠牲にしたものであって、社会の最も下に置かれた部落民は不合理な社会で苦しみ続けるありませんでした。

作品の中での丑松は、新しい思想に引き寄せられ明治の不合理な社会を越えていこうと考えていくが、これは自然であり必然なことであるのが伺えます。

この明治の社会は「えた」「ひにん」の身分を隠しただけにすぎず、今にも繋がる部落民の概念を生み出してしまったのではないかと感じます。

まとめ

今でも根強く残る差別問題は、この作品が書かれた100年前より差別意識が小さくなっているとは思いますが、100年以上経っても完全に無くならないことを考えれば、この先この問題が解消されることは難しいのではないかとかんじてしまいます。

まさに、グローバル化が進む昨今では、外国人に対し似た感覚を持っている人が多いのかもしれません。

明治期には部落出身の教師が部落出身というだけで解雇され、さらには住んでいる土地からも追い出されるという悲惨な状況を言っていましたが、どんなに信頼されていても人望が厚くても、この時代では部落出身と言うだけで全てを失ってしまうことに、大きな疑問と、今この平成ではそれまではいかないものの、理不尽な対応をとってしまう人がいることに、表現のしようがない違和感がありました。

私は部落差別のことをあまり知らないですし、部落の存在を知ったのも学校の授業ですので、この作品でその環境を取り巻く人々、明治時代の社会の意識などの状況を批判的に考えることが出来ました。

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